かもがわ総研

ベトナムでもがく中間管理職です。営業、マーケ、法務、採用なんでもやってます。

台湾の友達が東京に転職してきた話

先日台湾人の友達と食事に行った。

三年前に会社の同僚と年越しイベントに参加するため台湾に行ったときに、行きのフライトの中で隣に座っていたのがその友達だった。

道中ですっかり意気投合し、台湾に着いてからも一緒に热炒で飲みに行ったりした。それ以来日本でも何度も会っている。

自分でもなかなかない出会い方だとは思っている。

 

彼女は台湾の名門大学にいた頃に日本に交換留学で宮崎というド田舎で過ごした。当初は早稲田に行きたかったらしいが、住めば都というものでだんだんと愛着がわいて好きになったそうだ。

 卒業後は日本で仕事を探して留学していたド田舎のベンチャーで仕事を見つけた。留学の思い出がたくさん詰まった場所へ戻れることから高揚感はあった。

しかしぼくの狭い経験から言わせてもらうと日本の地方でまともなキャリアを積めるとは思えない。

 

彼女が就いたのはEC関係の仕事で、唯一貿易実務の知識もあったことから物流に関わる仕事が彼女に集中し恒常的にタスクに追われる毎日。残業代も出ないうえに休日出勤もザラにあったという。

 そんな生活から脱却するべく東京で転職活動を始めていて、早くもベンチャー的なところから内定はもらったそうだけど、

大学の他の同期たちは日産自動車や航空会社でCAをしているのに比べたら自分が惨めに見えると言ってて、聞いてる方も辛かった。

 

台湾のような半導体くらいしか主要な産業がないところでは、慢性的に仕事がない。日本でもそうだけど半導体産業はほとんど博打だ。

www.nikkei.com

だからなのか、台湾では驚くほど海外留学が一般的になっている。日本の人気も昔から高い。しかし日本に留学したからといって無条件に将来も仕事に困らないということにはならないということをぼくの友達のケースが教えてくれる。

 

留学したひとの間でも卒業後に就いた仕事で収入は大きく差がつくし、留学中に日本に馴染めない人もいるそうだ。

早稲田のような都心のマンモス大学だと留学生の数が多すぎて台湾の人同士でつるんでしまいがちなのと、留学生と交流したい日本人のお目当てが欧米から来た白人ばかりなのにがっかりするんだそう。京都でも同じことが起こっていたので否定することができず申し訳なく思う。

 

一方、宮崎のような地方の大学だとそもそも留学生というものが珍しいので日本人の方からワラワラ寄ってくるので友達作りには苦労しなかったそうだ。

ぼくの友達は早稲田に行けなくてたいそう落ち込んだそうだが、今では宮崎が大好きになっているので、人生ほんとうに何が起こるかわからない。人生塞翁が馬ということだ。

 

ちなみに余談ながら、彼女のお姉さんはアリババの杭州本社で働いていて、伸び盛りの企業はやはり激務らしい。辞めたい辞めたいと言っているのだが、昨年通信機器大手のファーウェイからアリババに転職してきた同僚が、「アリババめっちゃホワイトですごい」と言ってて驚愕したという話を聞いて笑ってしまった。ウェーウェイどんだけハードワークなんだろうね。

京都にシェアサイクルができてた話

先日京都へ行ってきたときに、 三条京阪駅ヨコにシェアサイクルのスタンドを見かけた。

 

pippa.co.jp

 

シェアサイクルというと懐かしい思いがする。数年前まで中国で爆発的な人気があり、 大手企業から出資を受けた新興企業二社が激しいシェア争いをして いた。

 

www.businessinsider.jp

 

二年前にぼくが中国へ銀行口座を開設しにいったときは赤色のモバイクと黄色のofoの自転車が街中のそこかしこに溢れていた。

スマホで支払い、開錠して、乗り捨てを繰り返して41度の灼熱の 日中で銀行の支店を求めて走り回っていたのはいい思い出。

 

中国では早くもブームは過ぎつつあるけれど、ついに日本でもシェアサイクルの会社が出てきたんだなと嬉しかった。運営会社はオーシャンブルースマートという会社で日本の会社だった。

 

小竹社長は高校で上海に、大学時代にアメリカに中学していてそこでの経験が考え方に影響を与えたとのこと。大学卒業後二社目で父親が社長を務める会社で勤務している。

父親の会社というのが、カイホウジャパンという車載機器の卸売業。今の社長は中国人みたい。

親が経営者だから小竹社長も起業を考えていたのかな。蛙の子は蛙ということか。

 

ぶっちゃけシェアサイクルは中国の後追いになってしまっていて、二番煎じの感が否めないけれど、京都にはシェアサイクルが受け入れられやすい市場環境はあると思っている。

 

京都は日本全国の都市の中でも訪日観光客の増加の恩恵を最も享受している部類に入るが、観光客の増加にインフラ整備が追いついていない。

市民の足である市バスなんかは観光客と住民で取り合いになっているくらいだ。

また目抜き通りである四条通では1車線を削って歩行者用の通路にしてしまったので、 四条河原町付近での車移動は絶望的な状態だ。

新幹線の時間が迫ってきたからと言ってタクシーに乗れば余計に間に合わないのだ。

地下鉄が混雑しているのは言うまでもない。

 

シェアサイクルはここにチャンスがあると思っている。公共交通機関がアテにならないので代替手段としてすんなりと受け 入れられると思う。

京都は街全体が非常にコンパクトに設計されているのが特徴だ。

ぼくが学生だった頃も大学の授業、バイト、河原町での飲み会、大阪市内に出るための阪急とJRの駅も、 嵐山も清水寺もすべて自転車でアクセスできるのがとても便利だった。

金閣寺から四条河原町まで30分もかからない。バスだと45 分くらいかかるだろう。

 

公共交通機関での移動と異なり、自転車での移動は路線などにほとんど縛られないので、気の向くままに自由に色々な場所を訪れることができるのがメリットだ。

例えば市内にたくさんある寺社巡りをしたい場合や、 劇場版コナンの聖地巡礼をしたい場合など、行くべきところが散らばっている場合は自転車での移動が便利だろうと思う。

反対に貴船神社流しそうめんを食べる、 比叡山延暦寺へ初詣に行く、下賀茂神社の古本市に行く、 河原町でお買い物などはじめから目的が決まっているなら市バスや電車で全然かまわないと思う。

 

シェアサイクルが普及すれば、 間違いなく地下鉄の混雑や道路の渋滞は緩和する。

デメリットは雨の日に弱いことと、 京都市内は北に行くにつれて緩やかな上りの地形になっていることくらいか。傘用のグリップや電動アシストの自転車もあればウケると思う。

 

LINE Payとか決済手段をたくさん用意してるのはとてもいいことなので、

あとPIPPAの運営会社さんに一点提案したいのは、一人が多人数分の決済をできるようにしてもらえたらもっと便利になると思う。

利用者が一人一人アプリをDLするのは面倒だし、システム的にも実装するのは簡単でないことはぼんやり想像はつくけれど、

今から普及させていこうとするときに「 おれが支払いしとくからみんなは乗るだけでいいよ」 という使い方ができれば人気に火が付くかもしれない。

シャイな欧米人に出会ったのが新鮮だった話

今日はいろいろと思い出深い日になるかもしれない。

 

というのも、初めて英語でJob Interviewをした日になるからだ。それも二回も一気に。

 

面接の前日までは自分でも驚くほどのんびりとしている。

 

当日の直前になってソワソワとしてくるのがいつものパターンで今回も先方の会社に向かう電車に乗ってから緊張が襲ってきた。

 

英語でJob Interviewがあることは事前に知らさせていた(というよりも外資系なので)のである程度自分なりに準備はしていた。ど

 

んな質問が来てもとにかく答えに詰まると印象が悪いので、ざっくり大枠くらいは回答を頭に入れておき、そのあとに考えながら喋るという塩梅だ。

 

今日訪問した会社は神奈川県某所の素晴らしいオフィスビルにあるドイツの会社だ。

 

いまの会社もそうなのだが、高層ビルフェチであるため入居しているオフィスビルに惚れて無条件に会社の評価も爆上げしてしまうのは悪い癖だ。

 

本題に入る。実際に出てきた社員は本社から出向で来ているイギリス人のエンジニアだった。一目見るなり挙動不審で緊張していることはぼくでもわかった。

 

あー白人でもシャイな人っているんだなってなことを考えていた。そんな場合じゃない、これから面接始まるんだぞ。

 

軽い挨拶もそこそこにこれまでの経歴を話した。向こうもなぜか緊張している。お前は母国語を話してるやろwというツッコミは我慢した。

 

英語なら普段の業務でメールでも電話でも使いまくっている。そこで英語を話すことに羞恥心など感じたことはなかったが、こういう一発勝負の場になるだけで言葉が出てこない。

 

「アカン、これグダってるやん…」という自覚がさらに焦りを生んでいく悪循環。その後後半にフリータイムの話題になって、フットボールと海外旅行に食いついた。

 

そうこうしているうちに英語での面接は終了。やっぱイギリス人はサッカー好きなんやね。もしぼくがプレミアリーグガチ勢だったなら挽回できたかもねとか思った。

 

会社を出てから近くのカフェでラテが運ばれてくるまでの記憶はあまりない。

 

準備不足を痛感したので、今回は他山の石として、次からはさらに入念に準備を重ねるほかないと思った。

 

こういうときくよくよしすぎないところは、自分で好きだと思っている。

 

スナッパーで同窓会をした話

先日大学時代の同級生を集めて盛大に同窓会を開催した。言い出しっぺのぼくが幹事を担当することになった。

 

幹事というのはいろんな忖度が必要とされる役割だと思っている。 おいしいお店を押さえるのはもちろんだし、 店内の雰囲気は良いか、アクセスが良いところか、 予約するコースの中に参加者の嫌いな食べ物は入っていないか、 二次会はどうするかなど本当にたくさんのことを同時に考えながらお店を選ぶ。

 

商社という仕事柄こういうセッティングは場数を踏んでいるほうだけれども、毎回死ぬほどめんどくさかったのに、仕事を離れたこういう場の仕切りは楽しくて仕方がなかった。

 

今回は関西からも人を募ったので締め切り時点で11人( その後ドタ参で15人に)が集まったので、 さらに収容人数という制限も加わる中でお店探しが始まった。

 

結局、種々の事情を勘案した結果銀座コリドー街にある「 スナッパー&グルーパー」というところに決まった。

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商社や広告の合コンでは人気のお店らしい。1Fも系列店でどちら も甲乙つけがたいほどおしゃれな内観。 ここは上記のニーズに加えて次のようなメリットがあったので迷う ことはなかった。

・半個室はMAX16人まで収容でき、 そこそこ騒いでも問題ない。

・メキシカン&スパニッシュという一味変わったチョイス

・予約特典でテキーラボトルプレゼント(6人につき1本なので、 ぼくたちは2本サービスしてもらえた)

まあ、3番目の理由が決め手になったかな。 そのテキーラのおかげで参加メンバー全員ひどい目に遭ったけど。 集合時間に間に合ったのは3人だけで、 大学時代よろしくことごとく遅刻してきてしょーがねえなあなんて 言ったりしたけど、それすらも懐かしくて愛おしくて、 しょうがなかった。

 

スナッパーの接客もとても良かった。 ドリンクはすぐに出てくるし、 食べ物もどれもおいしかったし食べきれないくらい出してもらった 。ここは合コンで今後も使い続けたいと思う。

 

二次会はとなりのコートダジュールでカラオケ。 グローバルカラオケ。いま話題のQueenのDon’t stop me nowで最高に盛り上がった。この時間が終わらないでほしいなーなんて思ってたら、気付いたらすしざんまいで夜明けを迎えた。 ただコートダジュールは本当に価格が高い。 お勘定見て笑うレベル。

 

卒業以来会っていない人もいて、 新年会開催してくれてありがとうとすごく感謝された。 久しぶりに再会したみんなの嬉しそうな顔を見ると幹事の激務も救 われた気がする。みんな自分では仕切れないけど、 内心こういうイベントは楽しみにしてるんだなと分かってよかった 。大丈夫だよ、 商社マンのプライドにかけて幹事はこれからもやりきるから。

 

残念ながら社会人になると深い友人がなかなかできなくなるのは事 実。 だからこそ大学時代までにできた友達はこれからもずっと大切にし たい。

過去を辿ることでその人を深く理解できますよという話

ぼくは前職の上司がたまらなく苦手だった。一言で言うとコテコテの関西人という感じで、声もデカいし部下には常に凄みをきかせていて恐れられていた。中にはのらりくらりとかわす先輩もいたけれど、そんな柔軟性を備えていない僕にとってはストレスの種でしかなかった。その上司の特にきつかったところはもう少しあって、

ザ・組織人で上からの命令には絶対に従うという人で、自分だけではなく部下にもそれと同じことを強いる人だということ。

さらに前職が会計事務所というキャリアで数字に恐ろしく細かい。エクセルなどの資料作成でダメ出しを食らった経験は数えきれない。時にはそんなの知らんがなということまで質問を食らうこともあった。

ともかく、ぼくという人間の対極にいる人だなと思っていたし、理解できるとも思わなかった。

 

そんなぼくが前職を退職することになったとき(その上司だけが理由だけではないのだが)、その上司と面談することになった。面談の時間が近づくにつれてどんどんと鼓動が速くなっていって、直前までトイレの個室に駆け込んだ。

 

面談はぼくの予想に反して穏やかに始まった。くそみそに嫌味を言われて、そんなようだとよそではやっていかれへんぞと説教をされる展開を想定していたため、ぼくは拍子抜けだった。嫌味を吐く代わりに上司は彼の過去を語り始めた。

 

上司は新卒で会計事務所に入ったものの、数年働いたあと退職し、しばらくどこにも勤めずにプータローとして放浪していた。そこからひょんなことから今の会社で働くことになり今に至る。

そこまではぼくも知っていたが、そこから40歳後半まで契約社員として働いていたことは衝撃だった。そうした過去を知ると、組織人として極端なタテ社会になるのもすんなりと理解できる。上に従わなければ契約を切られるだけだからだ。

彼はくる年もくる年も単年契約というプロ野球選手のような立場で(にもかかわらず収入はプロ野球選手には及ばない)闘ってきた。20年あまりの期間にわたって絶えず背水の陣で結果を出すというキャリアが人格にどのような影響を与えるかは容易に想像がつく。

それがいいことか悪いことかについてはここで議論するつもりはないけれど、そういった過去を知ることで、その人がなぜそのような行動を取るのかについて理解するのに大いに助けになる。もっとも上司はどのような価値観で動くのかを知ったところで彼の振る舞いが変わることはないが、ぼく自身の受け止め方が変わっていることが分かった。

誰かを知りたければ、その人の過去を知ることが一番だと知った。幼少期貧しい生活を強いられたのであればお金に執着するようになるだろうし、あまり親にかまってもらえなかった子供は愛情に餓えた人間になるし、とにかく家庭環境と正反対の性格を持ちやすい。

 

このことに気付いてからは、これまでも同じような体験を何度かしていたことを思い出した。他人を知るには過去を知ること。過去を知るにはまずは会話から。努めて能動的にコミュニケーションを取っていこうと思った。

トップを走り続けるために、実力以外に必要なもの

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ぼくはテレビを持っていないのだけれど、この前「○○( 有名アスリート)はいま」みたいな番組をYoutubeで見た。 ぼくが見たのは、元Jリーガーの平山相太だった。190センチと いうサッカー選手では恵まれた体格と非凡なシュートセンスを武器 に、長崎の国見高校時代は圧倒的な強さで君臨していた。

 

高校卒業後はオランダリーグへ参戦しチーム内最多得点を挙げるな ど活躍。高校時代から輝かしい実績を引っ提げ、 順風満帆かに見えた船出だった。 しかし二年目に突如チームを退団し帰国。 日本サッカー界が騒然とした。

 

彼はこの理由を、慣れない海外生活によるストレスと、 新しく替わった監督から命じられたオランダ語を習得できなかった ことだと吐露した。

言われてみればそうだと思った。 さらなる高みを目指して海外トップリーグへ行けばサッカーの技量 だけでなく、異国での生活に慣れなければならない。

平山はサッカーの実力は申し分なかったが、 後者にフィットすることができなかった。その後はJリーグに戻り 日本(FC東京)でプレーすることになるが、 高校時代を想起させるほどの活躍はできず、 どうしても才能が潰れてしまった感が残念でならなかった。

 

そんな平山を横目に台頭してくる選手がいた。平山よりも1歳年下 の本田圭佑だった。「 こんないいパス今までもらったことないでしょ!」など、 本田は年上の平山にも全く臆さずに意見を言い、 どんどんと周りを引っ張っていった。

さらに本田は平山と同じオランダリーグへ移籍し、 入団会見でジョークまで交えたオランダ語を披露し、 チームに溶け込む姿勢を見せた。

 

かつて平山が挫折したオランダ語を本田は見事に習得していた。V VVフェンロに入団した本田はチームが首位を独走する原動力とし て八面六臂の活躍を見せた。その後のCSKAモスクワやACミラ ン、ワールドカップでの活躍は周知のとおりである。

平山は愕然とした。高校時代の平山は、 同世代の日本代表メンバーなど全く寄せ付けなかったのに、 いったいどこでこれほど差がついてしまったのか?

 

平山は自分には強い精神力が足りなかったからだと結論付けた。 何が何でも絶対に勝つ、 ここで結果を出すんだという揺るぎない覚悟があった本田と、 それを持っていなかった平山。鮮やかで、 かつとても残酷な二人の対比だった。 高校サッカー史上最高と謳われた天才は昨年ひっそりと引退した。

 

類まれな才能を持っているだけでなく、 プラスαの何かを持っていなければ世界のトップで戦い続けること はできないのだということを、平山と本田は教えてくれた。

 

人は何をきっかけに変わるかということについて

久しぶりにある友達に会ったときの話。 日曜になぜか品川で落ち合うことになった。 ビジネス街でどこかよさそうなところは空いてるかなと焦ったが、 高輪口側のホテル品川グースの3FにGARDEN CAFE with TERRACE BARがあって助かった。

ガーデンカフェ ウィズ テラスバー
050-5869-4005
東京都港区高輪3-13-3 シナガワグース 3F
https://tabelog.com/tokyo/A1314/A131403/13124259/

日曜の夕方なら全く待たずに入れる。

 

彼女は旧帝大出身、 今はある大手メーカーに勤めるエリートサラリーマンだ。 しかしここまでの道のりは決して平坦ではなかった。 ぼくが彼女に出会ったのは社会人になってからだったが、 そこから会社の経営難、パワハラ・セクハラ・モラハラの三重苦( からの休職)、祖母の死、東京への異動などがあり、 激動の人生を歩んでいた。

 

彼女の第一印象は、従順な羊のようだった。 大企業に勤めているという先入観もあったかもしれないが、 長いものに巻かれ、ことなかれ主義の人間に見えたが、 上記の経験を経て彼女はスタートアップへのジョインを決めたようだった。

 

ぼくは一瞬耳を疑った。失礼なのは承知だが、 彼女のような人間が給与も下がる、 福利厚生もないスタートアップへ転職するのは何一つメリットがな いかのように思えた。彼女は「 自分のやりたいことをやれる環境がある」「 自分の人生後悔したくない」と言った。

 

そう力強く言った彼女の姿にぼくは感銘を受けた。見た目は変わらないが、 中身はまるで別人のようだ。

 

成功した人には得てして「 ターニングポイント」というものがある。 それがどのタイミングでどのように影響を及ぼしたのかは、 誰であれぼくはとても興味があるので、 経営者や政治家の伝記などをよく読む。

 

例えば楽天三木谷社長は、1995年の阪神淡路大震災で家族を 亡くしたことが転機となり、起業を決意したとされる。 そこからコンサルティング会社を興しその利益を元手に楽天の前身 を創業している。

 

彼女も、 祖母を亡くしたことで人間は驚くほど簡単に死ぬということ、 こんなにあっけなく死んでしまうならもっと自分の願望ベースで動 いてもいいのでは?と考え方が変わったそう。 我慢した先には何もないし、 結局自分の人生の責任は自分がケツを拭かなければならない。 近しい人の死は良きにつけ悪きにつけ大きな影響を与えるものだと 知った。

 

ぼくは個人的にはスタートアップは、 入るものではなく自分で始めるものだと思っているので、 彼女に感化されてぼくもやろうという気はないが、 少なくとも彼女のポジティブな変化とその物語に掛け値なしに感動 した。 これからも変わらずに彼女の成功を陰ながら応援したいと思っている。