かもがわ総研

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【夜は短し歩けよ乙女】全てはここから始まった。ぼくを小説の世界に引き込んだ記念碑的作品の映像化

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その作品との出会いは突然やってきた。ぼくは20歳までは活字は本当に苦手で小説など読みはしなかったが、大学の書店で見かけたそれは数ある作品の中で異彩を放っていた。

 

夜は短し歩けよ乙女」。なんだこの名前は。と思った次の瞬間にはすでに会計を済ませてしまっていた。名前の語感が良かったという理由だけで買ってしまった。裏側のあらすじはまったく読まなかった。

 

 活字嫌いなぼくではあったが、貪るように読んだ。森見登美彦の文章が一発で気に入り、文字だけでこんなに笑わせられるという体験が初めてで、新しい世界の扉が開けたような気がした。今振り返ってみればあの瞬間がわりと自分の人生のターニングポイントだったりする。人生何が起こるかわからないものだ。

 

この映画も「こうして出逢ったのも、何かのご縁。」というキャッチコピーがつけられていて、物語全体を貫くテーマとなっている。先斗町をさまよう乙女が東堂さん、樋口さん、羽貫さん、李白さんなどいろんな人たちと出会う。ここで「いやあなたのことよく知らないし。。。」などといってしまってはオモチロイ展開など生まれるはずもない。

 

書いていて思い出したが、ぼく自身も大学時代は色々な人との出会いをとても大切にしていたし、フットワーク軽く誘いがあればどこへでも飛んで行った。飲み会で友達の友達とつながることはとても楽しかったし、ぼくも積極的に友達を紹介していた。鴨川で外国人が盛り上がっていたら、ヘイ〜と絡みにいったりもした。鴨川でできた思い出とは大半がそうしたご縁によるものだった。

 

この映画の中で一番好きな場面は、乙女が東堂の借金の肩代わりを賭けて李白と偽電気ブランの飲み比べをするところだが、小説でもこの場面はドキドキしながら読んでいた。文字しかない情報から頭の中で映像を組み立てて読んでいたものが映像化され、まさに自分が想像していた通りに描写されていたので嬉しかった。

 

個人的に最も愛着のある作品だからこそ言えることでもあるが、この作品(ひいては森見登美彦の作品全般)は見る人を選ぶ。舞台が京都なだけに、土地勘のない人にはまったく分からないだろうから、関東の人にはあまり受けないんじゃないかと思う。またこの作品は物語の起承転結がはっきりしているものでもなく、わりと淡々と進んで行くので、ストーリーを楽しみたい人とも好みが別れることになると思う。

 

それでは詰まるところ、この作品は何がオモチロイのか?分かるひとにしか分からないから面白いのだと思う。京都を知らない人には本当に分からないが、京都、特に鴨川・木屋町先斗町界隈で過ごしたことのある人(京都で学生やってた人というと手っ取り早いか)が、あー懐かしいなココ!とかおれこの店で飲んだことあるよ!などと自分の思い出と重ね合わせて見ることができるところが面白いのではないかと思う。

 

さあ映画ももう終わりだなと思ったところで、最後にさらに嬉しいことが待っていた。エンドロールに入っても観客が誰一人として席を立たない。今まで見てきた経験から言えばここの劇場なら半分くらいはエンドロールに入った時点で出て行ってしまう。みんなアジカンの主題歌を聴きながら余韻に浸っているんだろうか、この作品に少なからず思い入れのある人たちばかりに囲まれて観れたことで、この上なくいい気分で劇場を後にすることができた。

 

さっきこの作品は関東の人にはあまり受けないと書いたけれど、やっぱり小説や映画は見るだけじゃなくて他の人と感想を語り合うものだと思うから、ぜひ森見作品が好きな人とお酒を酌み交わしながら話ができたらいいなと思う。

人と語り合うために、一人になって小説や映画を嗜むって逆説的でおもしろいけどね。

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)