かもがわ総研

ex機械メーカー→商社→そしてその先へ。

今までありがとうございました。

先週末は今年の中でも最もクレイジーな週末でした。3日続けて忘年会のあと、金曜には自分が幹事の合コン、その後終電で渋谷へ移動しビザが更新できず翌週に帰国予定のノルウェー人の友達の送別会を朝までやって、そのまま始発で羽田空港へ行き、JAL第一便で和歌山へ帰って、12日に亡くなった前職の先輩の葬儀へ参列してきました。その後前職の同期と集まり近況報告。

 

そして最後は新幹線のグリーン車でぐったりとしながら帰京しています。怒涛のように過ぎていった週末でした。疲労と寝不足と飲み過ぎによる頭痛とで朦朧とする意識に加え、喜怒哀楽のジェットコースターに揺られていました。

 

ときたま、考えることがあります。僕みたいな適当に生きているちゃらんぽらんが生き残って、僕よりできた人格の人がなぜ死ななければならないのか、とか。

社会人一年目のころも、よく飲みに行こうよと声をかけてくれていた大学の友人がいました。でも社会人一年目なんて会社の最底辺。残業に次ぐ残業でとても関西から北陸まで会いに行く気力がありませんでした。彼の訃報を聞いたのは1年目の12月でした。駆け付けた通夜で冷たくなった彼の亡骸の前で号泣し、忙しさを理由にして先延ばしにし続けていたことへの自責の念に押しつぶされそうになりました。本当は忙しくて時間がないだとかお金がないだとかなんてまるで理由にならないんですけどね。

 

話を戻します。先輩の死因は脳腫瘍でした。これまで仕事中に何度か倒れて搬送されたことがあり、手術もしていました。自分事になると初めて見えてくる世界もあるもので、先輩の死因についていろいろと調べたところ、けっこういろんな人が脳腫瘍で亡くなっていることが分かりました。プロ野球広島東洋カープ炎のストッパーと呼ばれ32歳の若さで逝去した津田恒美や、フィクションでは川村元気の「世界から猫が消えたなら」の主人公も脳腫瘍を宣告されて物語が始まります。こんなにも身近な病気なんだと今頃になって気づかされました。

 

前職の頃は本当にお世話になりました。営業のいろはについてはすべてから教わりました。自分の倍ほども年齢が離れた管理職から詰められたときも常に矢面に立って若手の言い分も聞いてくれました。そんなことをしている自分は命に関わる病気と戦っているにも関わらず、です。


今回参列した告別式で特に印象に残っていることは、先輩が亡くなったあとも残酷なまでに淡々と流れていく時間でした。息を引き取ったあとはすぐに葬儀の準備に取り掛からなければならず、大切な人が死んだことに対して悲しむ余裕も与えてはくれません。奥さんも、そして通夜、告別式に出席する人たちも。その日見た先輩の奥さんは抜け殻のようでした。当たり前のことなのですが、地球上で誰が死のうが地球はいつもと変わらず回る。先輩の最期の日は良く晴れた天気でした。


これまでに何人かの親しい人との別れを経験した今となってはひどく取り乱すこともなくなりましたが、やはり何回目でも精神的に堪えます。ただ、身も蓋もないことを言うとすべての人はやがて死にます。それが人により遅いか早いかだけの問題なんです。


亡くなったことをいつまでもくよくよしていても何も始まりません。故人もそんなことは望んでいないと思います。であるなら、いつか自分も向こうに合流した時に、「あのあとこんなバカなことやりましてねガハハ」とか土産話を一つでも多く作って持っていきたいと思います。楽しみにしていてください。

 

先輩を見送ったあと、前職の同期に会いに行きました。昨年娘が生まれたお祝いをしました。天真爛漫で本当に可愛いくて心がほっこりすると同時に、次世代にバトンタッチしていった先輩と、新たに生まれてきた命との対比に感激して目頭が熱くなってしまいました。

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よく晴れたいい天気でした。旅立ちの日にはもってこいですね。

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可愛い愛娘ちゃん。溺愛しちゃいます。

チャールズ・チャップリンのように、人生を後から振り返ればあれも喜劇の一部だったねと言えるように、これからもひたすら突っ走ります。

 

今でもあなたはぼくの光です。