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倉本聰のドラマやすらぎの刻を見て考えたこと

さて、いつの間にか新年度になりました。

4/8から倉本聰の新しいドラマ「やすらぎの刻(とき)~道」が始まっています。

www.tv-asahi.co.jp

おおまかに言うと、山梨の山村から満蒙開拓団に加わって敗戦の渦に巻き込まれ、数奇な運命を辿った機織り姉妹、という物語です。

 

満蒙開拓団というのは、1931年の満州事変(大日本帝国陸軍が中国の東北三省すなわち黒竜江省吉林省遼寧省を支配した事件)から1945年の太平洋戦争敗戦までの間に中国に現地の開拓のため送り込まれた日本国民のことを指します。

 

中国の東北三省+内モンゴル自治区という広大な土地を占領したはいいものの、そこを日本のために発展させていくためには地道に開拓していかなくてはならないので、国策上の「入植者」として27万人もの日本人が送り込まれました。

 

そして1945年に日本が敗戦する直前のタイミングでソ連満州に侵攻すると、余力のほとんどない日本軍は入植者を置き去りにして逃げ出します。その後入植者がどうなったかは想像に難くないと思います。

 

ソ連軍の虐殺から逃れるために、逃避行や難民生活の中で死亡した人は8万人にのぼりました。若い男性は戦争のために駆り出されていたため、亡くなったほとんどは老人、女性、子供だったそうです。

 

満州に取り残された日本人の犠牲者は、日ソ戦での死亡者も含めると24万5000人になり、この数字は東京大空襲沖縄戦、原爆投下の犠牲者数を上回ります。

 

もちろんこの中の多くは祖国へ無事に戻ることができたわけですが、日本へ戻ることができた人たちを「外地引揚者」と言いますが、実はこの外地引揚者は満州からだけではありません。

 

現ロシア領の樺太や台湾、朝鮮にも多くの日本人が滞在していました。敗戦時には軍人・民間人をすべて合わせると660万人が外地におり、うち500万人ほどが日本に戻ってきたと言われていますが、詳細な統計は存在しません。

 

この外地引揚者の中には、誰もが知っている各界の著名人も含まれており、私も調べながら驚きを禁じえませんでした。

 

満州

・小森重隆→経営者、富士フイルムHD会長

赤塚不二夫→漫画家

草野仁→俳優、タレント

・梅宮辰夫→俳優

板東英二→元プロ野球選手、タレント

山崎拓自民党代議士

・桑田久司→サザン桑田佳祐の父

樺太

せんだみつお→コメディアン

大鵬→第48代横綱

似鳥昭雄ニトリ社長

輪島功一→元ボクシング世界チャンピオン

◆朝鮮

五木寛之→作家

橋田壽賀子→脚本家

・小林千登勢→女優

満州以外の中国本土

三船敏郎→俳優

広河隆一→戦場カメラマン

 

いかがでしょうか。芸能界、財界、政界と幅広い分野で名を挙げた人たちが並んでいます。

私は富士フイルムHD会長である小森会長が遼寧省長春の生まれであることを彼の著書の中で知りました。自身が外地で生まれ、敗戦後に命からがら日本まで逃げてきたことがのちの人生観を形作ったと語っています。

 

 こうした外地引揚者をテーマにした小説はいくつかあります。最も有名なものが山崎豊子大地の子だと思います。大地の子に限らず、彼女の作品は戦争を通じて悲惨な人生を送った人の話が多いです。

大地の子 一 (文春文庫)

大地の子 一 (文春文庫)

 

 もう一つは、ワイルドソウルですね。こちらは戦後の極貧の環境下で口減らしのためブラジルに捨てられた日本人が地獄を経験し、日本に対して憎悪を燃やす子供が日本に対して復讐を誓うという話です。

 

ワイルド・ソウル 上 (新潮文庫)

ワイルド・ソウル 上 (新潮文庫)

 

 紹介していて、自分でもまた読みたくなってしまいました。