かもがわ総研

ベトナムでもがく中間管理職です。営業、マーケ、法務、採用なんでもやってます。

歴史って案外偶然の積み重ねなのかも

毎年8月中旬になると、戦中に実は知られざるこんなエピソードがありました、感動!みたいな番組が作られてテレビで放映されていますよね。

今年は菅田将暉主演の映画とかもあるようですからね。数学で戦争を止めようとした数学者という切り口です。漫画原作なんですね。

archimedes-movie.jp

こういう番組や映画に関していつも思うのが、毎年作り続けていてよくまあネタ切れにならないなあと感心しながら気が向いたときは見るようにしています。

とはいえ、高校野球にしても、チームがまとまらないだとか、エースがケガで離脱だとか、兄弟で目指す甲子園だとか、そういうエピソードが甲子園出場校のみならず、全国3700校にもあるわけです。

それを考えると、今後も新しい戦中エピソードはどんどん出てくるのかなあと思います。

business.nikkei.com

stiffmuscle.hatenadiary.org

先日、ぼくも祖父のこどものころの話を聞いて愕然としました。これまで一度もそんな話をするのを聞いたことがなかったからです。

祖父は終戦の年はまだ小学生で、空襲の際に一旦は家族で防空壕へ逃げ込みました。ところがそのとき祖父は家におもちゃを忘れて、それを取りに走りました。慌てて親戚のおばさんが追いかけて引き戻そうとしていたとき、防空壕へ米軍の焼夷弾が直撃し、避難していた残りの家族は死亡しました。

皮肉と言えば皮肉です。おもちゃを取りに行こうとなどとばかなことをしたばかりに祖父自身の命は助かり、代わりに家族(ぼくから見た曾祖父母)は亡くなってしまったのですから。

そうした数奇な運命の下で命からがら生き残った祖父がいて、また祖父が今日まで続いている会社の礎を作ってくれたおかげで、ぼくが令和のいまを生きていられるのだということ。

また、原子爆弾が投下された広島と長崎。はじめからこれら2都市に決まっていた訳ではなく、福岡県小倉市(当日上空の視界が悪かったため変更)や京都市(主要な軍事施設がなく国際社会の非難も考慮)が検討されていたようです。

効果のなるべく高い都市、終戦後まで見据えた投下後の戦略、当時敵国だったソ連へ原爆の威力を見せつける意図などたくさんの思惑や偶然が重なって広島と長崎に決まりました。

これらのどれか一つの要素でも違っていたならば、他の都道府県に原爆が落とされてのちに世界遺産となる原爆ドームの所在もそこになっていたかもしれません。

結論としては、めちゃくちゃうすっぺらいスピリチュアルな自己啓発の人みたいになってしまって痛恨の極みなのですが、いま見えているような社会があること、自分がこんなふうに生きていることは当たり前にあることではなく、多分に偶然の産物が含まれているのかも知れないと思ったことです。