かもがわ総研

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上司が「お前もいずれおれの苦労が分かるよ」と言った真意

以前、会社に遅くまで残業して上司と二人きりで残っていた。これは分かる人は分かるし、分からない人は本当に理解してくれないが、人もまばらなオフィスで遅くまで残業している時に交わす何気ない会話が好きだったりする。他の人には聞かれていない分、本音が出やすい。

手は動かしながらも、普段仕事しているときは話さないことを聞ける。ぼくは間を持たせるだけの雑談はどちらかというと苦手な方だ。けれど、ぼくは自分が知らない経験を持っている人の話を聞くのが好きなので、上司が若手の頃にケタを間違えて大量に仕入れをしてしまった話や、クレイジーな寮祭で乱交状態になった話、駐在時代の血を吐くような大変な思い出などをたくさん聞かせてもらっていた。興味のない人には聞き続けるのはしんどいかもしれないが、ぼく自身がそうした話を聞くのが好きなので全然苦にならなかった。

その日の上司は、いつもと違って珍しく会社への愚痴を多くこぼしていた。いわく、「役員は何かにつけて課長のせいにしてくる。自分たちは何もしないくせになんでもかんでも課長に押しつけられてたまらん」ということだった。日本のどこの組織にも、偉くなるほど実務から離れて天皇のようなお飾りの存在になってしまう傾向は確かに存在している気がする。

でもやっぱりそれを聞いたときに強く思ったのは、「いや、それあんたに対してぼくもだいたい同じこと思ってるけどな」だった。ヒラであるぼくのような若手は、大量の雑務を振りまくってくる人使いの荒い人だと思っている一方で、課長もまた部長や役員を何も仕事をしていない連中だと文句を言っていた。

ぼくは、課長くらいに偉くなればこの大量の雑務の苦労から解放されるのだろうと思っていた。が、実際には職位が上がるごとにその職位に見合った苦労がまたやってくるのだ。出世するために修羅場をがんばって乗り切ったものの、出世した先にはさらにやばい修羅場が待っているということだ。「どんな人にもその人なりの地獄がある」というツイートを見た記憶があるが、それにかなり近い。

上司の題名の言葉は、今思えばこのことを示唆していたのかもしれない。「いまお前はこんな雑務ばっかり押しつけやがってと思ってるかもしれねーけどな、課長になったらさらにやばい仕事が待ってるからな。」ということを暗にいっていたのだろうか。

そして今、まがいなりにも部下を管理する立場になり、その上司の言葉を思い出し、噛みしめている。若手の頃は自分ひとりのパフォーマンスしか見られなかった。でも、マネージャーの立場になると、実務にはある程度距離を置いて、チームを管理するスタンスを取らなければならない。数人の組織であっても人を管理するというのは思ったよりエネルギーを使うものだとつくづく実感する。

あれこれ言わないと動けない人もいれば、嫌気がさす人もいる。どう伝えれば他人が動いてくれるのか。人それぞれの性格があるので対応も臨機応変に変えていかなければならない。たまたまうまくいった指導法が次も正解だとは限らないということは肝に銘じておきたいと思っている。

今年も夏の風物詩である甲子園が始まっている。その日の試合のハイライトを見る熱闘甲子園で、主将がバラバラだったチームをまとめるのが大変だったみたいな話を見ていると、社会人になってようやくそうした問題に直面しているぼくとでは成長の速度も違ってくるだろう。たとえ甲子園に出場できなかったとしても学生時代に部活動の主将を経験できた人間は社会ではより大きく成長できるだろうなと一人で納得した。高校野球の教育的側面がうんぬん〜と言われるが、確かに部活動も人を育てる側面があることは否定はできないと思った。