ベトナム人の労働観と「メキシコの漁師」の寓話
最近ベトナム人の部下に「あなた働き過ぎだよ、たまには早く帰ろうよ」と言われることがかなり増えた。
ローカル同士の噂話により、もうほとんどの部下はぼくのことをワーカホリックだと言っていると思う。
この数ヶ月色々なベトナム人を見て、話を聞いて、考察を重ねてきて思うことは、日本人とベトナム人を隔てる最大の違いは「労働観」にあると思っている。
同じアジアに属し、同じ仏教を信仰し、似たような見た目を持ちながら、この労働観が決定的に異なることが、時にトラブルの種になってしまうことはもう実際に何度も身をもって体験している。
ベトナム人は日本人ほど仕事に人生の時間を捧げようと思わない。そんなことよりも大切な家族との楽しい時間を過ごすことの方が重要なのだ。
現在ぼくは誰よりも早く会社に来て、誰よりも長く働く、という状態に意図せずなってしまっているが、自分自身そこに酔っているわけではない。
ヒラの頃と違ってマネージャーという立場だし、組織としてもまだまだ未熟だしやろうと思えばそれこそ無限にやることは見つかる。
前に進めば進んだ分だけ新しい問題が噴出してくる。直面したことのない問題と格闘するのは間違いなくストレスだ。
思えばここ最近白髪も増えたし、朝起きるのもおっくうになった気もする。
でも進めば進んだ分だけ新しい世界がもっと見えてくる(気がする)。
がむしゃらに働いてそこに幸せを見いだすのと、そこそこに働いて仕事以外に幸せを見つけることのどちらがいいのか?という命題に対して、メキシコの漁師という有名な寓話がある。
詳しくはぐぐってもらいたいが、端折って説明すると、アメリカの有名な大学を卒業した旅行者がメキシコを訪れた際に、漁師が魚を捕ってくるところを見た。
旅行者が漁師に話しかける。漁師は自分と家族の分だけなら毎日たくさん捕る必要はない。余った時間はゆっくり寝て、子供と遊んで、ギターを弾いて、歌を歌って、それで一日が終わるねと言った。
旅行者はもっと魚を捕って、船を買い、会社を作って大金持ちになるべきだと言った。
漁師「どうなるまでにどれくらいかかる?」
旅行者「20年くらいだね」
漁師「その後はどうなる?」
旅行者「株を売却して大金持ちになる」
漁師「それで?」
旅行者「そうしたら引退して、ゆっくり寝て子供と遊んで、ギターを弾いて、歌を歌って過ごすんだ」
漁師「それならもうすでにやってるよ」
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この寓話は元々はMBAを取得した人や、忙しく働く人を揶揄するためのもので、ぼくも大学時代に初めてこの寓話を読んだときはクスッとなって、身を粉にして働くなんてバカじゃんと思っていた。
でも社会に出て数年たって、もう一度この寓話を読むと感じ方が変わってくるのが分かった。
このメキシコの漁師とアメリカ人の旅行者が、人生で最後に目指すところは同じだけれども、その中身は全く違うものだ。
メキシコの漁師はずっと同じ仕事をしているため、ひたすら平凡に時間が過ぎていくだけだが、アメリカ人旅行者の場合は魚をたくさん捕る過程や、会社を大きくしていく過程で色んな人と関わったり、新しいことを学んだりと、様々な経験を積むことだろう。
もちろんいいことばかりでないことは分かる。誰かに騙されることもあるだろうし、組織が割れることもあると思う。
それでも、人生の一部分であったとしても、濃密な経験をすることは人生を豊かなものにしてくれると思っている。忙しく働くことも無駄ではないのだ。
こういうフィロソフィがぼくの労働観の根底にあるため、ベトナム人には全く理解されない。
ベトナム人が寓話で言うところのメキシコ人漁師であり、さしずめぼくがアメリカ人旅行者にあたる。
ぼくはそこそこの仕事で一生を終えるよりも、ハードワーキングであっても色んな仕事を経験して、色んなところを出張で訪れ、色んな人の考えに触れたいと思っている。
この先突っ走っていった先にどんな風景が見れるんだろう。その好奇心だけが今日も自分の背中を押してくれる。