かもがわ総研

ベトナムでもがく中間管理職です。営業、マーケ、法務、採用なんでもやってます。

木を見て森を見ずなベトナム人

はい、最近業務量が過激に増えておりストレスがたまっております。

取引先の品質管理マネージャー(かなり真面目そうな見た目)もあまりに忙しすぎて週末はだいたいキャバクラで豪遊してるときいて爆笑したけど、そのうち店内で出会うかも知れない。

 

最近なぜ自分が忙しいのか?とお風呂入ってるときとか、うんこしてるときとか考えるんだけど、「仕事の質が上がっていない」という要因が圧倒的に大きいと思う。

例えばある仕事を一度処理したら、通常なら次からは要領を覚えて、あるいは次からはこうしたらもっとスピーディに持って行けるなとか学びがあるわけで。

ぼく自身も「次からはこうしようね」とフィードバックしてあげている。そうしてまた同じ仕事が来たときに、部下はまた同じ次元をグルグルと回っているだけのケースが本当に多い。

思うに、業務キャパを超える状態の仕事が舞い込んできたときでも、ひとまず立ち止まって「今ってどういう状況なんだっけ?」と考えることが本当に苦手だという印象が強い。

立て込んでくる仕事に流されてしまっては、本当に解決すべき問題も見えてこない。

例えばお風呂にお湯を入れすぎてしまって、もうすぐ溢れてしまうという状況の時に、まずやるべきことはお湯を止める(問題の本当の原因を解決する)ことだということは誰でも頭では分かっているんだけど、実際に多くの人がやってしまっているのが、浴槽にたまっているお湯を捨てる(重要でない仕事に忙殺されてしまう)ことなのだ。

特に仕事においては、ある一つの問題を解決することで、他の問題も同時に解決できてしまうケースも多い。一石二鳥、一石三鳥もできてしまうのだ。

仕事の効率化にはこういう一手間を加えることで一気に処理できる仕事を見つけてまとめて射抜くことが欠かせない。

 

と、我ながら良い例え思いついたので言ってみたものの、自分も完璧にできているわけではないので、自戒も込めて書き残しておきたい。

🇻🇳チャンネーの年齢9歳読み間違えて、しかもバツイチだった話

友達、と言って差し支えないかは分からないが、定期的にご飯を食べに行く関係のベトナム人の女の子がいる。

今住んでいるマンションのエージェントで、これまでハノイでどこのレストランがおいしいとか、どこの旅行先が人気かだとか、色々なことを教えてもらっている。バイクに乗せてもらってご飯を食べに行く。

彼女は素晴らしく乳がデカく、ストレス緩和作用があるので、いつもはぼくから誘っているのだけど、今回は向こうの方から連絡が来たのでなんだろうと思って会いに行った。

聞くと今の不動産エージェントを退職したらしい。次の会社も日系の不動産エージェントらしい。

ベトナムにおいては仕事を辞めるハードルは恐ろしく低い。旧正月休み(テト休暇)を機に戻ってこなくなるスタッフは非常に多い。弊社だけでなくベトナムの色んな企業が頭を悩ませている問題でもある。

それと、彼女が近々結婚することになったらしい。そもそも彼氏がいることも聞いてなかったなと思い、いろいろ彼氏のことなど聞いてみた。

彼氏は携帯ショップのオーナーで5歳上。やっぱりベトナムでも男が年下の女性と結婚するという構図は変わらない。

出会いはフェイスブックで、マッチングアプリかと思いきや、友達の友達として出てきて素敵だなと思ったので、なんと女の子の方から連絡先を聞いて付き合うに至ったらしい。

こういう馴れそめの段階こそベトナムの女性は積極的に動くけれども、付き合うとなると、特にハノイの女性はかなりクローズドというか男性の方から来るべきというコンサバな価値観で、かつ男性側の熱意を見たいということで女性は待ちに徹するらしく、付き合うまで1年以上かかったりすることもある。かなり慎重だ。

そしてベトナムの結婚式は短い場合でも3日間続く過酷なものらしい。ハノイなど都市部出身の人の場合は日本のように1日だけでサクッと終わるのが一般的になってきているらしいが、地方の結婚式は地獄らしい。

1日目は家族や親族を集めて食事をする。2日目は村の人たちに食事を振る舞う。どちらも朝から晩まで続くためホスト側としてはかなり疲れる。そして3日目にようやく式を挙げることとなる。

さらに衝撃だったのだが、彼女がなぜこのことを知っているかというと、自分の経験談バツ1)だからだった。思わず以前見たこのツイートを思い出してしまった。

初婚は22歳だったらしい。写真を載せることは憚られるが、本当に乳の大きな女の子なので男から引く手あまただったであろうことは容易に想像できるので、よく考えずに結婚してしまった可能性も十分ある。

3年たって離婚して、そこから数年シングルで過ごして今年32歳らしい。顔がロリロリなので全く分からなかった。23歳くらいだと思っていた。

なぜ離婚したのかは聞けなかったが、まあだいたい予想は付く。上のツイートのような顛末だったのかもしれない。

まあ初婚で子供を作らなかったのは不幸中の幸いというべきだが、離婚した後でも生きていくために働かざるを得ず、人生は待ってはくれない。

ぼくはまだ結婚したことがないので分からないが、一度離婚した人はなかなか初婚の人を次のパートナーに選べないそうで同じ境遇の人と再婚する傾向にあるらしい。

再婚相手は金だけは持っているが、優しくはなく休日もほとんど一緒に出かけることはないそうで、再婚する前から離婚シグナルがビンビンに光っているが、

ぼくは彼女の再婚を心から応援しているし、これからも彼女の日本語のスキルを生かして活躍してくれることを期待している。

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ベトナム人の労働観と「メキシコの漁師」の寓話

最近ベトナム人の部下に「あなた働き過ぎだよ、たまには早く帰ろうよ」と言われることがかなり増えた。

ローカル同士の噂話により、もうほとんどの部下はぼくのことをワーカホリックだと言っていると思う。

この数ヶ月色々なベトナム人を見て、話を聞いて、考察を重ねてきて思うことは、日本人とベトナム人を隔てる最大の違いは「労働観」にあると思っている。

同じアジアに属し、同じ仏教を信仰し、似たような見た目を持ちながら、この労働観が決定的に異なることが、時にトラブルの種になってしまうことはもう実際に何度も身をもって体験している。

ベトナム人は日本人ほど仕事に人生の時間を捧げようと思わない。そんなことよりも大切な家族との楽しい時間を過ごすことの方が重要なのだ。

現在ぼくは誰よりも早く会社に来て、誰よりも長く働く、という状態に意図せずなってしまっているが、自分自身そこに酔っているわけではない。

ヒラの頃と違ってマネージャーという立場だし、組織としてもまだまだ未熟だしやろうと思えばそれこそ無限にやることは見つかる。

前に進めば進んだ分だけ新しい問題が噴出してくる。直面したことのない問題と格闘するのは間違いなくストレスだ。

思えばここ最近白髪も増えたし、朝起きるのもおっくうになった気もする。

でも進めば進んだ分だけ新しい世界がもっと見えてくる(気がする)。

 

がむしゃらに働いてそこに幸せを見いだすのと、そこそこに働いて仕事以外に幸せを見つけることのどちらがいいのか?という命題に対して、メキシコの漁師という有名な寓話がある。

詳しくはぐぐってもらいたいが、端折って説明すると、アメリカの有名な大学を卒業した旅行者がメキシコを訪れた際に、漁師が魚を捕ってくるところを見た。

旅行者が漁師に話しかける。漁師は自分と家族の分だけなら毎日たくさん捕る必要はない。余った時間はゆっくり寝て、子供と遊んで、ギターを弾いて、歌を歌って、それで一日が終わるねと言った。

旅行者はもっと魚を捕って、船を買い、会社を作って大金持ちになるべきだと言った。

漁師「どうなるまでにどれくらいかかる?」

旅行者「20年くらいだね」

漁師「その後はどうなる?」

旅行者「株を売却して大金持ちになる」

漁師「それで?」

旅行者「そうしたら引退して、ゆっくり寝て子供と遊んで、ギターを弾いて、歌を歌って過ごすんだ」

漁師「それならもうすでにやってるよ」

 

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この寓話は元々はMBAを取得した人や、忙しく働く人を揶揄するためのもので、ぼくも大学時代に初めてこの寓話を読んだときはクスッとなって、身を粉にして働くなんてバカじゃんと思っていた。

でも社会に出て数年たって、もう一度この寓話を読むと感じ方が変わってくるのが分かった。

このメキシコの漁師とアメリカ人の旅行者が、人生で最後に目指すところは同じだけれども、その中身は全く違うものだ。

メキシコの漁師はずっと同じ仕事をしているため、ひたすら平凡に時間が過ぎていくだけだが、アメリカ人旅行者の場合は魚をたくさん捕る過程や、会社を大きくしていく過程で色んな人と関わったり、新しいことを学んだりと、様々な経験を積むことだろう。

もちろんいいことばかりでないことは分かる。誰かに騙されることもあるだろうし、組織が割れることもあると思う。

それでも、人生の一部分であったとしても、濃密な経験をすることは人生を豊かなものにしてくれると思っている。忙しく働くことも無駄ではないのだ。

 

こういうフィロソフィがぼくの労働観の根底にあるため、ベトナム人には全く理解されない。

ベトナム人が寓話で言うところのメキシコ人漁師であり、さしずめぼくがアメリカ人旅行者にあたる。

ぼくはそこそこの仕事で一生を終えるよりも、ハードワーキングであっても色んな仕事を経験して、色んなところを出張で訪れ、色んな人の考えに触れたいと思っている。

この先突っ走っていった先にどんな風景が見れるんだろう。その好奇心だけが今日も自分の背中を押してくれる。

令和時代の成功者の見分け方

オールドな日本人の世代ではサラリーマンの男性がどれだけ偉いかをある程度の確度で見極める方法がある。

「肌が黒いほど偉い可能性が高い」のだ。地黒な人は横に置いておいて、ゴルフをたくさんする人というのはそれだけ社内外の要人と接点がたくさんあるので、偉くなっていく、というのが自分で編み出した、一寸先は闇の不確かな世を渡っていくための処世術の一つである。

 

現在働いている弊社は伝統的なメーカーなので、ときたまベトナムにやってくる本社の役員の皆様方もまあ例に漏れず日に焼けた方ばかりである。同時にたくさん来客が来た場合は、黒い人から順に名刺を渡していけばまあ間違いがない。

ところが、それも50代くらいまでしか通じないだろうと思う。もちろんどの世代にもゴルフが好きな人はいて、そうした人は組織内でも出世していくだろうが、その割合は徐々に減っていくと思う。

若者のゴルフ離れの傾向は以前から報道されているが、これからも増えることはないと思われる。なんといってもお金がかかりすぎる。第二に休日がまるごと潰れてしまう。日もまだ昇らない早朝から遠くまで出かけて、コースの後に飲み会もセットなのでその次の日も身体が使い物にならなくなる。

お酒でさえも敬遠されつつある今の20代の世代には役満といっていいほどのネガティブな要素な詰まっている。

そこまでの対価を払ってまでゴルフをしようという人はこれから減っていくことは想像に難くない。

平成までの時代は、日に焼けた人を見れば成功している人を見分けることができた、ある意味簡単な時代だったわけだが、

令和の時代はどういう風に変わっていくのだろうか。これに答えることはとても難しい。

ただ一つ言えることは、成功者になる方法がそれまでの時代のものとはガラリと変わっているということ。

従来の成功者像というのは、スポーツマン、体育会、トップダウン、飲み会、ゴルフといったワードに代表されるような、上司に気を遣い、理不尽に耐え、様々な制約下で結果を出し続けてきた人間が挙げられる。

翻って、最近話題になっている成功者を見てみるとどうだろう。

ネットショップ運営で上場を果たしたBASEの鶴岡社長、「BASE 社長」の画像検索結果"

同じくネットショップStores.jpを展開するヘイグループ佐藤社長

「ヘイ 佐藤社長」の画像検索結果"

Youtuberのマナブさん

「マナブ youtuber」の画像検索結果"

そして従来型の成功者像として最も近いのが現サントリーHD新浪社長。

「新浪剛史」の画像検索結果"

やはり黒いですね。見るからに体育会っぽいですし。知らんけど。

若い起業家を見ていて思うのは、プログラマー出身で事業を一気に成長させて金持ちになった人が多い。プログラムを組むのは何歳からでもできるので10代でもとんでもないプログラミング能力を持った人もいる。

とはいえプログラミングに打ち込む人というのは傾向として内気な人が多め。結果として上の3人のような人が多くなる。この人たちおそらくゴルフという多大な時間を費消する趣味はないだろう。

これからの成功者の見た目というのは、どんどん普通の人っぽく近づいていくと考えている。ぱっと見ではそれと気づかない。日に焼けた精悍な見た目というのはそれだけでただならぬ雰囲気を醸し出すものだが、今の世の中では成功するために必要な素養が変わってきていると感じる。

どちらがよいかという問題ではなく、事実として新浪社長のような人は少数派になってきていて、それどころか伝統的なメーカーの中でもゴルフや接待を嫌う人は多くなってきている。

じゃあ見た目で判断できなくなっていくなら、何が人を分けるんだろうか。それはたぶん情熱かなと思っている。あることが好きで好きでたまらなくて、他人からの視線も、時間が過ぎるのも忘れてひたすら没頭していられます!みたいな人はどんな分野でも成功していくのだと思う。知らんけど。

ベトナム人の特徴(最新版)

ベトナム人と一緒に仕事をしていると、日本人と違うなと思うところがよく見つかります。

これについては以前にも何度かツイートしたことがあるので、個人的な備忘録も兼ねてアップデートしたいと思います。

 

・おしゃべり好き

 

これはかなりのベトナム人が該当します。そもそも陰気な感じの人にまだ出会ったことがありません。日本であれば「あ、この人陰キャだな」というような見た目の人でも口を開けばベラベラとまくし立ててます。この辺は中国・台湾とも似ている気はします。

仕事している間も、よくそんな話題があるな?というくらいしゃべり散らかしているので、たまに上司が注意しています。

ぼくもこういうときはいつもシーンと静まりかえっていた日本の職場が少し懐かしかったりします。

 

・話が長い

 

上述のおしゃべり好きとかなり相関している可能性が高いですが、YesかNoの答えを期待して質問しても、「それはこういう背景がありまして、〇〇さんはこう言っているのですが、物流部はこうするべきだと反対しています。あ、そういえばお客さんからこんなリクエストも出ています。」というように、外堀の外堀からバカ丁寧に説明していくので、話が長くなりがちです。外出前にサクッと一つ質問しようと思って聞いたが最後、10分くらい話し続けることになってしまいます。

A社までは車で何分かかるの?→30分くらいです。

B社の要望をざっくり言うと〜〜ということですか?→はい / いえ、〜です。

C社の売上が減ってきているのはどうしてですか?→〜だからです。

こういうシンプルな答えを期待して質問するのですが、どうしてもダラダラと長い説明になってしまうので、時間が押しているときなどは申し訳ないと思いながらも途中で遮って「要は〜でしょ?」と勝手に要約してしまいます。

 

・報告がない

 

これが一番困ります。部下が指示を求めてくるので、「じゃあこういう方向で進めましょう、まずは〜から始めてください」と言ったらそこから音沙汰がありません。不安になって「あれ、どうなったの?」と聞くと、「もう終わらせましたよ」と。いやいや報告してきなさいよとカチンときますが、トラブルが起こらなかっただけラッキー。ぐっとこらえて「次からこまめに知らせてもらえると助かるよ!」と柔らかく返事しておきます。

炎上してから「なんとかしてください」と言われると、こんな感じになります。

あとはやっぱり近視眼的になりがちなので、「顧客が〇〇の製品をすぐにほしいと言ってるんです!急いで見積もりの承認ください!」と言ってきますが、もう一度用途の詳細を確認させると、別の製品の方がフィットしていて在庫も十分ありましたみたいな状況はこれまででもすでに何度かありました。

 

いまのところはこんな感じですね。グチグチ言いましたけど、概してみんな明るいのでオフィスの雰囲気はとてもいいです。お菓子とかいっぱいくれるし笑

ベトナム人を採用する難しさ

ベトナムのフリーペーパーを開くと、それはたくさんの人材紹介会社の広告を見ることができます。

昨今中国での生産コストの上昇や米中貿易摩擦などの影響で多くの日本企業がベトナムに工場を移転してきているという背景もあって日本人の求人は多いのですが、それ以上にベトナム人の採用したいという意欲も大きいと感じています。

ベトナムに工場を作ったら実際に手を動かすのはベトナム人なわけで、日本人の役割としては彼らのマネジメントや顧客の日本人マネージャーとの意思疎通、本社とのスムーズなやりとりが期待されることが多いです。

ベトナム人はけっこう簡単に仕事を辞めてしまいます。ぼくがベトナムにある日系企業を訪問して世間話から聞いた限りでは、常に採用活動をしており、毎日のように新入社員のための導入研修を行っている。

ベトナム人と日本人は手先が器用だとか、仏教がマナーのベースにあるなどという点でよく似た国民性を持っていると言われますが、やっぱり根っこのところでは価値観が違うんだなあと、普段から直接彼らに接していてそう思います。

 

家から遠いので、辞めます。

まず前提として、ベトナム人は今の仕事が自分にあまり利益がないと判断するとそこから退職するまでは早い傾向にあります。日本のように石の上にも三年や、同じ会社で経験を積まないと忍耐が、、といった感覚は持ち合わせていないように思います。

また優先順位として圧倒的に家族>仕事という価値観は広く共有されています。家族をとても大切にしているので、日本人のように意味もなく残業するということはあり得ません。(自身のスキルアップのためなど明確な目的の下ならば残業することもあります。)

とあるフリーペーパーでこんな記事を見ました。ベトナム人が退職を決意する2つの要因について、一つは自分が今の会社で待遇が上がらなかったり、成長することができないと思ったとき。これについては会社側が別の仕事にアサインするなどで解決可能な場合が多いそうです。

もう一つが、家から職場までが遠いときだそうです。「それくらい応募する前に検討してきてくれ」と感じたのはぼくだけではないはずですが、ベトナムの事情を知らないと、なぜこんなことが起こるのかを誤解してしまいます。

まずベトナムには地下鉄のような公共交通機関がなく、ほとんどの人がバイクで通勤しています。車はまだ誰もが持てるほど普及していないのが現状です。

四季のあるハノイでは、夏は暑いし、冬は寒いし、雨が降ればカッパを着て通勤することになります。ラッシュアワーでは空気もひどいものです。

また、ベトナムの一般的なワーカーは家族とともに住んでいる場合が多いです。一人暮らしをできるような給与水準でないことが大きいと思います。ベトナムにある日系企業は会社の門の前に求人広告を貼りだしていたりして、そこに月給なども併記している場合もあります。だいたい5万円ほどです。弊社の20代の女の子もだいたいは実家から通勤しているので、あまりに遠いところだと時間がかかりすぎて通勤できないのです。

職を得ることを焦ってしまって、家から遠いところで妥協したものの、働いてみるとやっぱり通勤が負担になり、家族との時間も減ってしまうので違う仕事を探しますという考え方なんでしょうか。

 

欧米企業との語学人材の取り合い

日本人なら鉄道網が発達しているため、家から1時間かけて通勤というのもザラにありますが、ベトナムでは通勤距離が原因で採用できる人材の選択肢も狭まってしまいます。

あと、けっこうびっくりしたんですが、ベトナムでは英語ができるのとできないのとで給与が二倍以上も違ってくるらしいので、英語教育自体は盛んです。ただベトナム語の訛りに引っ張られた英語を話す人が多く、大変聞きにくいです。

だからこそ、訛りの少ないきれいな英語を話せる人から順に給与水準の高い欧米企業へ流れていきます。ベトナムに進出している欧米企業は多くはないので、日本企業に来るのはそこに入れなかった人たちということになります。

語学ができる人がただでさえ取り合いになっているところに、会社の立地が辺鄙なところにあると、余計に人材採用に苦労することになってしまいます。

日系企業ベトナムに工場を建てるとなると、通常は工業団地というまとまった区画に集まって進出することが一般的ですが、法人税が数年間免除されるなどのメリットもあります。しかし最近できている工業団地はあまりアクセスがよいとは言えません。なるほどコストは安くあがるのでしょうが、進出して工場も建ててしまったあとに、なかなか人材が採れないことに苦しむことになるかも知れません。

ホーチミンの方でも、日本企業だけでなく中国企業も進出してきていて、地価やオフィス賃料なども高騰しているようです。コストを下げるためにベトナムに来たものの、蓋を開けてみたら実は日本で作った方が安く上がりましたみたいな笑えないことになるかもしれませんね。

社内飲み会に行きたがらない先輩が並々ならぬ覚悟だったことを知ったときの話

ぼくには韓国人の先輩がいる。歳も2つしか離れておらず趣味も合う。ネットフリックスの全裸監督はダメ作品だとか、ジムでトレーニングするならここがいいですよとか、とにかく色んな方面で趣向が似ているので色んな話をする。

その先輩をKさんとしよう。ベトナムで働き始めて3年ほどになるKさんには既婚で同じく韓国人の美人な奥さんがいる。そのKさんがあまり社内飲み会に参加されないのには、愛妻家だからとか、恐妻家だからだよとか色んな話がされていた。

Kさんは傍目には社内の複雑な人間関係をうまく乗りこなしてやっているように見える。どんな時も笑顔を絶やさず、冷静に淡々と仕事をこなしていく様はローカルの部下からも信頼が厚い。

しかしKさんは社内飲み会どころか顧客との接待にもめったに行きたがらない。もちろんゴルフのコンペにも行かない。やはり韓国人なのでアルコールには強いのだが、飲み会にはあまり関心を示さない。

社内政治はうまいのにも関わらず、そういうところが偉い人たちからの歓心を買うことができず、「あいつは営業としてどうなのか?」「上司の飲みに付き合わないなど言語道断」といった不満もしばしば聞こえてきた。

そういった中で珍しくそのKさんから「今晩のみに行きませんか」という誘いがあった。普段上司との飲み会にはなかなか行かないKさんが自ら誘ってくるなんて滅多にない機会だと思って、二つ返事で承諾した。この機会にいろいろ聞いてみようと決心した。

聞くと、奥さんの友達が韓国からやってきているので食事に行くので、あなたの方も勝手に食べてきてと言われたからだそうだった。かわいい。

歳も近いので気を遣う必要もなく、お酒もかなり進んだ。どういったいきさつかは忘れたが、奥さんの話になった。

Kさんは元々はベトナム駐在にきたくはなかったそうだ。断ろうと思い、当時まだ結婚したばかりだった奥さんに相談してみた。しかし奥さんは駐在は大きなチャンスだから行ってみるべきだと逆にKさんを説得した。

そうした経緯があり、Kさんは結局は辞令を受けてベトナムに赴任することになる。それまでは奥さんも韓国内で仕事をしていたので、奥さんも職を辞してベトナムに付いてきたことになる。

Kさんの奥さんはベトナムに来てしばらくは、日本で言うところの専業主婦をしていた。駐在員というのはご存じの方も多いと思うが多忙を極める。顧客企業の管理職層以上とのコンタクト、本社との意思疎通、毎月の数字のキャッチアップ、部下の管理など日々の業務を挙げていければキリがない。

これが多くの駐在員が結婚した状態で赴任する大きな理由を占める。当然共働きだった夫婦は通常奥さん側が仕事を諦めて夫をサポートする方に回るのだ。

夫婦ともに不慣れな土地で暮らすのは同じだが、奥さん側の方が負担が大きいことが多い。働く夫側は仕事でいろんな人とふれあいがあるが、奥さんの方は孤独になりがちだからだ。Kさんの奥さんは韓国の窮屈な人付き合いにも少し辟易していて、ベトナムにたくさんある韓国人社会に進んで入ろうとはしなかった。韓国人街からも離れたところに住んでいる。

そのため余計に他人とのコミュニケーションが少なくなり、一時はうつ病と診断されたそうだ。Kさんは自分の都合で慣れないベトナムに連れてきて、その挙げ句、妻を追い詰めてうつ病にさせてしまったことで自責の念に苛まれた。

実はKさんとぼくは生い立ちのところで共通点がある。幼少期に父親が仕事で多忙すぎて話す機会がほとんどなかったことで、とてもさみしい思いをしていたということだ。他にも同じ境遇に人に会ったことはいるが、そういう人は自分が家庭を持ったら家族との時間を最も大切にするようになる傾向がある。

Kさんもそれと同じく、激烈に働いて自分を大学まで出してくれた父親には感謝しながらも、自分は妻や子供には同じ思いはさせまいと強く決意していた。

その一件以降、Kさんは妻との時間を何よりも最優先するようになり、社内の飲み会にもほとんど顔を出さなくなったということだ。「自分は営業として不適切だと言われていることも分かっている」「韓国に帰任になったらもう営業はしないと決めている」「総務とかに配置換えしてもらえなければ他の会社で仕事を探す」と開き直っている。

人間、開き直れば案外強いものだ。自分が今持っているものに執着するほど、それを失うのが怖くなり、しがみつくようになってしまうのだ。

ぼくは、冗談や皮肉は一切抜きでKさんの生き方に感動した。心からKさんと奥さんを応援したいと思った。何よりも残念でならないのは、そうした人を生きづらくさせてしまっている会社、そして飲み会やそれに付随するマナーをことさらに重要視する文化から抜け出せない日本人に対して失望せざるを得ない。

先日ツイッターで荒ぶってしまったのも、この件で少し情緒的になっていたからだった。

ぼくたち20代や30代の価値観やライフスタイルが急速に変化して行っているにもかかわらず、40代以降の管理職の人たちは相変わらず昔ながらの価値観から変われないでいるように思える。何か見えない世代の断絶が横たわっているのだろうか。

嫌がる社員を無理矢理連れて行くのはナンセンスだし、それをしなくても会社が回っていくように工夫できるようになったら、そして、どんな人でも胸を張って生きていけるようになっていければいいなと思った。